文学史 / 近代・現代文学史
明治文学(写実主義・浪漫主義:坪内逍遥・夏目漱石・森鴎外)
要点整理
明治文学とは何か
明治文学は、1868年の明治維新以降、西洋の思想・文学が本格的に流入し、日本の近代文学が形作られていく時代の文学です。江戸時代までの文語(書き言葉として整えられた、話し言葉とは異なる文体)を中心とした文学から、話し言葉に近い口語で小説を書こうとする動きが生まれ、この文体の変革が、近代文学の出発点となりました。
明治文学の流れは、大きく次の順序で展開したと整理すると理解しやすくなります。
言文一致運動(文体の改革) → 写実主義 → 浪漫主義 → 自然主義 → 反自然主義(余裕派・高踏派)
言文一致運動と写実主義
近代小説の理論的な出発点となったのが、坪内逍遥による評論**『小説神髄』**です。逍遥はこの中で、それまでの勧善懲悪や荒唐無稽な筋立てを中心とした戯作文学を批判し、小説は人間の心理や世相をありのままに写し出すべきだという「写実主義」の理論を打ち立てました。
この理論を、実際の作品として体現したのが二葉亭四迷です。二葉亭四迷は小説**『浮雲』**で、話し言葉に近い口語体を用いて小説を書く、「言文一致」を実践しました。それまでの文語体では表現しにくかった、登場人物の細やかな心理の揺れ動きを描くことに成功し、日本の近代小説の出発点として高く評価されています。
写実主義の流れの中では、尾崎紅葉や山田美妙らを中心とする文学結社「硯友社(けんゆうしゃ)」も活躍しました。尾崎紅葉の**『金色夜叉』**は、金と恋愛をめぐる悲恋を描いた作品として、当時大きな人気を博しました。
浪漫主義の展開
写実主義がやや客観的・冷静な描写を重視したのに対し、明治20年代以降には、個人の感情や理想、自我の解放を情熱的に描こうとする「浪漫主義(ロマン主義)」が台頭します。
森鴎外は、ドイツ留学の経験を生かし、異国を舞台に個人の理想と現実社会との葛藤を描いた「ドイツ三部作」の一つ**『舞姫』**を発表しました。エリート青年が、身分違いの恋と立身出世の間で苦悩する姿は、浪漫主義的な自我の目覚めを描いた作品として評価されています。
樋口一葉は、下町に生きる少年少女の淡い心の揺れを描いた**『たけくらべ』、貧しさの中で生きる女性を描いた『にごりえ』などの作品で知られます。詩歌の分野では、北村透谷・島崎藤村らが文学雑誌『文学界』を拠点に浪漫主義的な作品を発表し、与謝野晶子が情熱的な短歌集『みだれ髪』**を、雑誌『明星』を拠点に発表しました。
自然主義の台頭
明治30年代後半になると、浪漫主義の理想的・情熱的な傾向に対する反動として、人間や社会の現実を、理想化せず、ありのままに(時にみにくい面も含めて)描こうとする「自然主義」が主流となります。
田山花袋は**『蒲団』で、中年の作家が若い女弟子に抱く赤裸々な感情を告白的に描き、日本の自然主義文学、およびのちの「私小説」(作者自身の実体験をそのまま素材にする小説)の出発点となりました。島崎藤村は、被差別部落出身であることを隠して生きる青年教師の苦悩を描いた『破戒』**で、社会的なテーマに自然主義の手法で切り込みました。このほか、国木田独歩も自然主義の先駆的な作家として知られます。
反自然主義(余裕派・高踏派)——夏目漱石と森鴎外
自然主義が文壇の主流となる一方で、これと距離を置く作家たちもいました。その代表が夏目漱石と森鴎外です。
夏目漱石は、猫の視点から人間社会を風刺的に描いた**『吾輩は猫である』でデビューし、その後、江戸っ子気質の青年教師を描いた『坊っちゃん』、近代的な自我の孤独と苦悩を深く掘り下げた『こゝろ』**など、数多くの作品を発表しました。自然主義のように人間のみにくさを暴露することに専心するのではなく、知的なユーモアや余裕を持って人間や社会を見つめるその作風は、「余裕派」と呼ばれます。
森鴎外も、浪漫主義の時代を経たのち、歴史的な題材を用いた作品(『阿部一族』など)で、人間の理知や倫理を冷静に見つめる姿勢を示し、夏目漱石と並んで「高踏派」(自然主義から距離を置き、知的な高みから人生を見つめる立場)と評されることがあります。夏目漱石と森鴎外は、明治文学の終わりを飾る、2大文豪として並び称されます。
まとめ
明治文学は、「言文一致(二葉亭四迷)→写実主義(坪内逍遥の理論)→浪漫主義(森鴎外・樋口一葉)→自然主義(田山花袋・島崎藤村)→反自然主義(夏目漱石・森鴎外)」という流れの中に、それぞれの作家と作品を位置づけて覚えることが、最も効率のよい整理の仕方です。
例題
例題1(基本)
問題
話し言葉に近い口語体で小説を書く「言文一致」を実践した、先駆的な作品名とその作者を答えよ。
解答・解説を見る
言文一致体を実践した先駆的な作品は二葉亭四迷による**『浮雲』**です。それまでの日本の小説は、話し言葉とは異なる文語体で書かれるのが一般的でしたが、この作品では、話し言葉に近い文体を用いることで、登場人物の心理の細やかな動きをより自然に描き出すことに成功しました。理論面での出発点である坪内逍遥の『小説神髄』(写実主義の理論書)とセットで覚えておくと、明治文学初期の流れを正確に押さえられます。
答え:作品は浮雲、作者は二葉亭四迷
例題2(標準)
問題
夏目漱石と森鴎外は、ともに自然主義とは異なる立場をとった作家として並び称されるが、この2人が自然主義と距離を置いた作家として位置づけられる、その立場を表す用語を1つ挙げ、簡単に説明せよ。
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夏目漱石と森鴎外は、「余裕派」(または「高踏派」)と呼ばれます。これは、当時文壇の主流であった自然主義が、人間や社会の現実(時にみにくい面も含む)を、ありのままに暴露的に描くことを重視していたのに対して、夏目漱石や森鴎外は、知的な余裕やユーモア、理知的な視点を保ちながら人間や社会を見つめる姿勢をとったことを指す言葉です。
両者とも、自然主義とは一線を画し、より知的・理性的な立場から作品を書いた点で共通しており、明治文学の終わりを飾る2大文豪として、しばしばセットで扱われます。
答え:余裕派(高踏派)。自然主義の暴露的な手法とは異なり、知的な余裕・理知を持って人間や社会を描く立場。
例題3(応用)
問題
次の説明にあてはまる文学上の立場の名称を答え、判断の根拠となった特徴を本文中の語句を用いて説明せよ。
「浪漫主義の理想的・情熱的な傾向への反動として、明治30年代後半に台頭した。人間や社会の現実を理想化せず、時にみにくい面も含めてありのままに描こうとする。この立場を代表する作品には、作者自身の赤裸々な体験を告白的に描いたものが多い。」
解答・解説を見る
「浪漫主義への反動」「現実をありのままに、みにくい面も含めて描く」という説明が、大きな手がかりです。これは、理想や情熱を重視した浪漫主義とは対照的な立場であり、「自然主義」の定義そのものです。
さらに「作者自身の赤裸々な体験を告白的に描いた」という部分は、田山花袋の『蒲団』のように、自然主義から派生した「私小説」の特徴と一致しており、この点からも自然主義であると判断できます。写実主義(現実の客観的描写を目指す、より初期の立場)と混同しないよう、「浪漫主義への反動として現れた、より後の時代の立場である」という時期の違いも意識しておきましょう。
答え:自然主義。「浪漫主義への反動」「現実をありのままに、みにくい面も含めて描く」「作者自身の告白的な体験」という記述から判断できる。
確認問題
問題
『小説神髄』を著し、写実主義の理論を打ち立てた人物は誰か答えよ。
答え
坪内逍遥