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評論文頻出テーマ(1)言語論・身体論
要点整理
なぜ「頻出テーマ」を知っておくと有利なのか
評論文にはさまざまな話題が扱われますが、実は入試でよく出題される評論文には、繰り返し登場する定番の「主張パターン」がいくつか存在します。これは、大学入試で出題される評論文の多くが、近代社会・近代的なものの見方に対する反省や問い直しを主題にした文章から選ばれる傾向があるためです。
こうした頻出パターンをあらかじめ知っておくと、初めて読む文章であっても、「ああ、これはあのパターンの話だ」と見当がつき、筆者の主張の方向性を先取りして読み進めることができます。これは、背景知識で「答えを決めつける」ためのものではなく、あくまで文章の骨組みを素早くつかむための地図として使うものだと理解しておきましょう。最終的な根拠は、必ず本文の記述に置く必要があります。
このトピックでは、頻出テーマのうち「言語論」と「身体論」を扱います。
言語論の頻出パターン
パターン1:言語は思考を規定する(言語相対論)
もっとも頻出するのが、「私たちは、言語を通してしか物事を考えることができない。したがって、使う言語が違えば、ものの考え方・世界の見え方も違ってくる」という主張です。これを言語相対論と呼びます。たとえば、「虹の色を何色に分けるか」が言語によって異なるという例(ある言語では虹を3色、別の言語では7色に分けるなど)は、この主張を裏づける具体例としてよく使われます。
パターン2:言語は世界を分節化する
言語相対論と関連して、「言語は、もともと連続的でひとまとまりの世界を、単語という単位に区切る(分節化する)働きを持つ。私たちが『もの』として認識しているものの多くは、実は言語によって切り分けられて初めて存在するようになる」という主張もよく登場します。「言葉がなければ、私たちはその対象を対象として認識できない」という言い方がされることもあります。
パターン3:言葉にできないものの価値
言語論の中には、逆に「言語には限界がある。言葉にできない感覚・経験(身体的な感覚、芸術的な感動など)にこそ、かけがえのない価値がある」という、言語の万能性を相対化する主張もあります。これは、次に説明する身体論ともしばしば結びつきます。
身体論の頻出パターン
パターン1:近代的身体観への批判
身体論で最も頻出するのが、心身二元論(精神と身体を分けて考え、精神を身体より上位に置く近代的な発想)への批判です。近代科学・近代医学は、身体を「精神によってコントロールされるべき、物としての機械」のように扱う傾向がある、という指摘から出発し、そうした身体観が見落としているものは何かを論じる、という展開がよくあります。
パターン2:「生きられた身体」という捉え方
心身二元論への批判として提示されるのが、身体を単なる物としてではなく、**「生きられた身体」**として捉え直す考え方です。身体は、精神が一方的に操作する道具ではなく、それ自体が経験を積み重ね、世界や他者と関わり、意味を宿す存在である、という主張です。老い・病・障害といった経験が、身体をあらためて意識させる契機として取り上げられることもよくあります。
パターン3:身体を通じた知(暗黙知)
もう一つの頻出パターンが、「頭で理屈として理解すること」と、「身体で覚え、体得すること」を対比させ、後者の重要性を説く主張です。自転車の乗り方や職人の技のように、言葉で説明しきれないのに確かに存在する知恵を「身体知」「暗黙知」と呼び、近代的な、言語・論理を偏重する知のあり方に対する反省を促す文脈で登場します。
読解への活かし方
これらのパターンを知っておくと、評論文の冒頭で「言語」「身体」という言葉が出てきた時点で、「近代的な考え方への批判につながりそうだ」「対比の構造(近代的な捉え方 vs それに代わる捉え方)で進みそうだ」という見通しを立てながら読むことができます。ただし、あくまで見通しであって、実際の主張が本文でどう展開されているかは、一文一文丁寧に確認する必要があります。
例題
例題1(基本)
問題
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
私たちは、あたかも世界がもとから「もの」に分かれて存在しているかのように感じている。しかし、たとえば日本語では一語で表される「虫」という概念が、ある言語では昆虫と、それ以外の小さな生き物とで、まったく別の単語に分けられているという。世界そのものが変わったわけではない。私たちの母語が、世界をどう区切って認識するかを、あらかじめ決めているのである。
この文章で述べられている考え方として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 世界にはもともと「もの」の区切りが存在せず、あらゆる区切りは幻想にすぎない。 ② 言語が違えば、世界の切り分け方(認識のしかた)も異なってくる。 ③ 日本語は、他の言語よりも世界を正確に区切ることができる優れた言語である。 ④ 虫という言葉の意味は、どの言語でも共通している。
解答・解説を見る
この文章は、言語論の頻出パターン②「言語は世界を分節化する」の典型的な例です。「私たちの母語が、世界をどう区切って認識するかを、あらかじめ決めているのである」という最後の一文が、この文章の主張そのものです。
①は「あらゆる区切りが幻想」とまで述べており、本文の主張を過度に一般化しすぎています。本文は「言語によって区切り方が異なる」と述べているのであって、区切ること自体を否定してはいません。③は、日本語が「優れている」とは述べておらず、単に区切り方が言語ごとに異なる一例として挙げているにすぎません。④は本文の内容と正反対です。
答え:②
例題2(標準)
問題
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
近代医学は、身体をあたかも精密な機械であるかのように扱ってきた。故障した部品を交換するように、悪い箇所を切除し、薬で数値を正常に戻す。この発想そのものが、多くの人命を救ってきたことは間違いない。だが、その一方で、私たちは身体を、精神によって管理されるべき単なる「もの」として見る癖を、いつのまにか身につけてしまったのではないか。病を経験した人が語る身体の実感は、決して数値やレントゲン写真には収まりきらない。
筆者がこの文章で問題提起していることとして最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 近代医学の発展そのものが誤りであり、否定されるべきである。 ② 身体を機械のように扱う近代的な身体観が、数値化できない身体の実感を見落としてきたのではないかということ。 ③ 病を経験した人の語る身体の実感は、科学的な根拠に欠けるということ。 ④ レントゲン写真は、身体の状態を正確に映し出す唯一の手段であるということ。
解答・解説を見る
この文章は身体論の頻出パターン①「近代的身体観への批判」にあたります。まず、近代医学が身体を「機械」のように扱ってきたことを述べ、「多くの人命を救ってきたことは間違いない」といったんその意義を認めたうえで、「だが」という逆接を挟んで、「身体を、精神によって管理されるべき単なる『もの』として見る癖」という問題点を指摘しています。最後の一文「病を経験した人が語る身体の実感は、決して数値やレントゲン写真には収まりきらない」は、この問題提起を具体的に補強する一文です。
①は、筆者が近代医学の意義自体は認めている(「人命を救ってきたことは間違いない」)ため、行き過ぎた解釈です。③・④は、本文の趣旨(数値だけでは捉えきれない身体の実感がある、という主張)と正反対の内容になっています。
答え:②
例題3(応用)
問題
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
熟練した陶芸家に、土をこねるときの力加減を尋ねても、満足のいく答えは返ってこないだろう。「なんとなく、こうする」としか言いようがないのだ。それは彼が説明を怠っているのではない。長年にわたって手が覚えてきたその感覚は、そもそも言葉という網の目には、うまくすくい取れないものだからである。にもかかわらず、私たちはとかく、言葉で説明できる知識ばかりを「本物の知」とみなし、身体が覚えている知恵を、一段低いものとして扱ってはこなかったか。
この文章の内容と合致するものとして最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 陶芸家が力加減をうまく説明できないのは、彼の技術がまだ未熟だからである。 ② 言葉によって説明できる知識だけが、真に価値のある知識だと言える。 ③ 身体を通して体得された知恵は、言葉で説明しきれないからといって、価値が低いわけではない。 ④ 陶芸のような伝統技術は、今後すべて言語化・マニュアル化されるべきである。
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この文章は、身体論の頻出パターン③「身体を通じた知(暗黙知)」にあたります。陶芸家が力加減を説明できないのは、「彼が説明を怠っているのではない」と明言されており、①のように未熟さのせいだとする解釈は本文と矛盾します。
本文の後半、「私たちはとかく、言葉で説明できる知識ばかりを『本物の知』とみなし、身体が覚えている知恵を、一段低いものとして扱ってはこなかったか」という一文は、疑問形を使いながら、実質的には「そのような扱いは適切ではないのではないか」という筆者の問題提起(反語に近い表現)です。ここから、筆者は身体的な知恵にも言語的な知識と同等の価値を認めるべきだと考えていることが読み取れます。
②は本文の主張と正反対です。④は本文でまったく述べられていない、行き過ぎた飛躍です。したがって、身体を通した知恵の価値を正面から認めている③が最も適当です。
答え:③
確認問題
問題
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
ある言語には、方角を表すのに「前後左右」ではなく、常に「東西南北」を用いるものがあるという。その言語の話者は、狭い部屋の中にいても、自分がどちらを向いているかを常に正確に把握しているそうだ。これは単なる言語の違いにとどまらない。彼らの空間の捉え方そのものが、私たちとは異なっているのである。
この文章が示している考え方を、「言語」という語を用いて30字程度で説明せよ。
答え
(例)使用する言語のあり方によって、空間の捉え方(認識のしかた)も異なってくるということ。